矢作川

川名が語るふるさとの歴史

◆愛知の疏水木曽川水系(宮田用水・木津用水)

2017.05.16

 日本のほぼ中央に広がる濃尾平野。そこに流れる我が国有数の大河川、木曽川、長良川、揖斐川。流域の人々はこれらを一筋の川と同様に考え、“木曽三川”と呼んで親しんできました。
 三川、それぞれの名前の由来は、古く木曽は吉蘇とも書かれていたことから、それが名の由来となったと考えられている木曽川、洪水が長良村に流れこんで以来、この名がつけられた長良川、そして揖斐川は斐荘(現、揖斐川町)を貫流して流下する河川として名付けられたといわれています。
 この地域の治水の難しさは、全国的にも有名で、輪中や水屋に代表される木曽三川特有の水防共同体を生み、治水史上著名な宝暦治水の秘話を残しました。
その後、明治の初期から国による河川事業(河川改修・ダム事業・砂防事業)が100年以上にわたり行われてきました。
 今日の木曽三川の流れが完全に分けられた形態は、オランダ人技師ヨハニス・デ・レイケによるもので、我が国近代治水事業の幕開けと位置付けられています。
 現在のように安心して農業が行えるような環境は、治水をはじめとする多くの人々の長年の苦労と農業水利施設の整備によってもたらされました。

 さて、木曽三川の中で最も大きな木曽川は、その源を長野県木曽郡木祖村の鉢盛山(標高2,446m)に発し、木曽谷として名高い渓谷を中山道に沿って南南西に下って岐阜県に入り、飛騨川などと合流し、愛知県犬山市で濃尾平野に出て、南西に流下し、長良川と背割堤を挟み併流南下し、伊勢湾に注いでいる流域面積5,275㎢、幹川流路延長229kmの河川です。

 この木曽川の下流域にある濃尾平野は日本でも大きい部類に属する海岸平野ですが、じつは、この平野は花こう岩がもたらした平野なのです。
 濃尾平野を構成する土砂は、主に木曽川流域に分布する花こう岩を原資としてつくられ、濃尾傾動運動により造られた堆積盆へ木曽川によって運び込まれたものですから、濃尾平野は花こう岩がもたらした平野となるわけです。

 今回は、この広大な濃尾平野を潤す、木曽川を水源とする「宮田用水」及び「木津用水」について紹介します。

犬山頭首工(犬山市犬山)


注)濃尾傾動運動

 濃尾平野における沈降運動は濃尾傾動運動と呼ばれています。濃尾平野と西側の養老山地との境界に北北西-南南東方向に養老-伊勢湾断層と呼ばれる活断層が走り、それによって濃尾平野側が沈降し、養老山地側が隆起しています。濃尾平野地域は、東側(猿投山塊)で隆起しているために、全体としては西方へ傾いていく運動、すなわち傾動運動をしています。
 この運動は100万年ほど前から本格化し、現在も進行中であり、その平均の速さは年間0.5~0.6mmと考えられています。その結果、平野へ流れ込む河川は西方へ偏る傾向になり、運び込まれる土砂も平野の西部に厚く堆積していくことになります。

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木曽川水系の流域図