矢作川

川名が語るふるさとの歴史

◆愛知の疏水木曽川水系(木曽川用水)

2017.11.01

 木曽川は、その源を長野県木祖村の鉢盛山(標高2,446m)に発し、木曽谷として名高い渓谷を中山道に沿って南南西に下って岐阜県に入り、飛騨川などと合流し、愛知県犬山市で濃尾平野に出て、南西に流下し、長良川と背割堤を挟み併流南下し、伊勢湾に注いでいる流域面積5,275㎢、幹川流路延長229kmの国内有数の大河川です。
 この木曽川の豊富な水は、古来より流筏、舟運などのほか、濃尾平野の大穀倉地帯の農業用水として利用され、近年になってさらに発電や都市用水と、中部経済圏の飛躍的な発展を支える原動力になってきました。
 その後も農業用水の水利用の合理化や安定的取水、あるいは都市用水の需要の急増に対処するため、木曽川の水を総合的に開発利用する必要が高まってきました。
 このような状況のなかで、昭和43(1968)年に「木曽川水系の水資源開発基本計画」が決定され、これにもとづいて、木曽川総合用水事業が実施されることになりました。


木曽川総合用水の要点を纏めると、次の4点となります。

①木曽川下流域の愛知、三重両県下の関係地域からなる濃尾第二地区に加え、
 上流部の岐阜県の木曽川右岸地区および岐阜中流地区を計画地域として取り扱う。

②木曽川第二地区の各既得用水を木曽川大堰に合口し、既得用水が慣行として
 取水してきた取水量54.12㎥/sを計画取水量25.64㎥/sをもって充足させ、
 この差分は新規利水の水源とする。

③木曽川右岸地区と岐阜中流地区は地区内水源の合理的な利用を図り、
 不足する水量は岩屋ダムに依存する。

④新規都市用水は②を水源とするほか岩屋ダムに依存する。


 このように木曽川総合用水事業は水源施設である岩屋ダムと水供給を行う木曽川用水の2つに分けられ、木曽川用水事業は、昭和41(1966)年に一旦、農林省により工事着手された後、昭和43(1968)年水資源開発公団が事業を承継したもので、昭和58(1983)年の3月に総事業費約926億円で事業を完了し、同年の4月より管理が開始されました。

 今回は、愛知県の木曽川用水地域を中心に、農業用水に纏わる水利事業の変遷を辿ります。
 なお、「きそ」は、正字体で「木曾」と表記されることもありますが、本文では常用漢字の「木曽」に統一しています。

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木曽川大堰

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海部幹線水路(正面は木曽川用水総合管理所)

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木曽川用水概念図(木曽川用水通水20周年記念誌より)