矢作川

川名が語るふるさとの歴史

◆愛知の疏水豊川水系(豊川用水・松原用水・牟呂用水)

2017.02.07

豊川と東三河の歴史
 豊川の流路は、かつては幾筋にもなって豊橋平野を流れていたと言われている。豊川は流域が小さく、流路延長も短いため頻繁に洪水を繰り返してきた。
 豊川における治水事業は、江戸時代に吉田の城下町を洪水から守るため、中下流部に設けられた霞堤に始まるといれている。霞堤は堤防が不連続であり、 この不連続な箇所から一時的に洪水が溢れることで下流部の浸水被害を軽減してきた。
 これにより吉田の城下町は洪水から守られた反面、霞堤地区では洪水の度に浸水に悩まされ、その被害は甚大であったと伝えられている。
 霞堤は昭和30年代には9箇所あったが、昭和40年に完成した豊川放水路により、沿川の洪水被害は格段に緩和されるようになった。その後、豊川右岸側の5つの霞堤は、締め切られ、現在は、左岸側の牛川・下条・賀茂・金沢の4霞が残っている。

霞堤 かすみてい
 霞堤はその形から鎧堤(よろいづつみ)とも呼ばれる。江戸時代の吉田城主池田輝政が豊川沿いに造らせたとされる独特の堤防である。豊川の下流域で川がU字形に蛇行した場所では流れが悪くなるため洪水の原因になっていた。そこで流れがぶつかる蛇行した部分の堤防にわざと「差し口」という切れ目をつくり、その背後にもう一つの堤防(霞堤)をつくる。そして川が増水するとこの「差し口」から遊水池に水を流し込み洪水を防ぐのである。遊水池は普段は農耕用地として利用された。豊川流域にはこうした「差し口」が9か所あった(「豊川市史」)。

豊川 とよがわ
 豊川は、愛知県東部を流れ三河湾に注ぐ河川。一級水系の本流。清浄な水質の川であり、東三河地域における水瓶ともなっている。宇連川との合流分以北では寒狭(かんさ)川と呼ばれることがある。

・川名の由来
 いつまでも住民をうるおす豊かな川であるようにとの願いを込めて、名づけられた。その名の通りここは自然的環境が多く残され、東三河地方の人々には「母なる川」として大変親しまれている。“ほの川”とは、豊川(とよがわ)のこと。大昔、この地方が「ほの国」と呼ばれていた頃から、そう呼ぶようになったとも言われている。
 また、ほ(穂の川)→ ほうのかわ → 豊(ほう)川 → 豊川 へと長い歴史のなかで、変化していったという説もある。流域によっては、「本谷川・寒狭川・広瀬川・大川・吉田川・飽海川」などと、さまざまな呼ばれ方をされている場合もあった。

・地理
 愛知県北設楽郡設楽町段戸山(標高1,152m)に源を発し南流。愛知県東部の山間部を流れ、長篠城址付近で宇連川を合わせ豊橋平野に流れる。豊川市行明町付近で豊川放水路を分け、豊橋市の西部でこれと再度合流しながら三河湾(渥美湾)に注ぐ。

・流域の自治体
 愛知県北設楽郡設楽町、新城市、豊川市、豊橋市。

・歴史:
①治水の歴史
 江戸時代に、川下の吉田(現在の豊橋市中心部)を洪水から守るため、その上流に霞堤と呼ばれる不連続な堤防が建設された。昭和に入り、治水のために豊川放水路事業が開始され1965年に完成。
②郡の境界
 宇連川から寒狭川・宇連川分岐点以南の豊川本流の大部分は、長らく宝飯郡・設楽郡(西岸)と渥美郡・八名郡(東岸)の境界をなしていた。
③名称の変遷
 古くは飽海(あくみ)川、吉田(よしだ)川、豊川(とよがわ,とよかわ)と呼ばれていた。現在、河川名は新河川法により豊川(とよがわ)(濁音)とされている。清音の“とよかわ”は、宝飯郡豊川郷から由来し現在の豊川市の読みに継承されている。

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宇蓮川 うれがわ
 宇連川は、愛知県北設楽郡設楽町および新城市を流れる豊川(とよがわ)水系の河川である。
 愛知県北設楽郡設楽町の南東部の山中に源を発し南へ流れる。新城市長篠の長篠城跡の南で本流の豊川に合流する。上流には宇連ダム、支流の大島川には大島ダムがあり、共に東三河の水源となっている。
 宇連川の西側は旧設楽郡、東側は旧八名郡の郡の境目であった。
 また、三輪川、板敷川の別称があり、江戸時代以前は大野川と呼ばれていた。

豊川放水路 とよがわほうすいろ
 豊川流域の洪水被害を根本的に解決する手段として考え出されたのが、もう一つの川(放水路)を作り、洪水時には二つの川で洪水調節を行うという計画。こうして昭和40(1965)年に完成したのが、豊川市行明町・柑子町から豊橋市前芝町へ通じる全長6.6㎞の豊川放水路である。

流域及び河川の概要
 豊川は、その源を愛知県北設楽郡設楽町の段戸山(標高1,152m)に発し、山間渓谷を流れ、宇連川を合わせ、豊川市行明で豊川放水路を分派し、豊橋市内を流れ、三河湾に注ぐ、幹川流路延長77km、流域面積724㎢の一級河川である。
 その流域は、愛知県東部に位置し、東三河地域の中心となる豊橋市を始めとする3市3郡からなり、東三河地域における産業、経済の基盤をなすとともに、河川水質が良好で、水利用及び河川環境の面からも重要な存在となっており、本水系の治水・利水・環境についての意義は極めて大きい。
 豊川流域は、北西部に広がる三河高原と東側に連なる弓張山脈に挟まれた地形を基盤に形成されており、下流域は扇状地と三角州の平野となっている。流域には、中央構造線が東西に走り、さらに三河高原の東側には設楽火山群があるため地質的には複雑な地域である。流域内の年間降水量(昭和36年~平成9年)は上流域で約2,400mm、中流域で約2,200mm、下流域で約1,800mmとなっている。
 山地が流域の約8割を占める豊川は、山間渓谷部を清流となって下り、その後豊橋平野で蛇行を繰り返しながら緩やかに流れ、良好な水質や豊かな河道内の樹木群により多様な生態系を育み、下流部の都市域でも自然が残されたやすらげる空間を提供している。
 山間渓谷部を流下する上流部は、複雑な地質や地形による自然崖とそこに分布する自然植生とがあいまって良好な景観を形成しており、渓流に棲むアマゴ等のほか、国指定の天然記念物であるネコギギが生息している。
 川沿いに広がる平野部を緩やかに蛇行しながら流れる中流部は、連続する瀬や淵と広い高水敷(こうすいしき)があり、高水敷には農耕地のほか、マダケ、エノキ等の竹や高木の群生が見られる。このため中流部は、水と緑の織りなす豊かな自然環境を形成しており、アユ等が生息している。
緩やかな流れの下流部は、吉田大橋付近までは広い高水敷があり、中流部と同様に豊かな自然環境を形成しているが、ここより河口までは、ゆったりとした水面にヨシ群落が点在している。また、吉田城址付近は、歴史的景観と調和した整備がなされ、都市域における良好な空間を提供している。
 中下流部に見られる高水敷は、民有地が多いが、一部国有地では、公園、グランド等として整備されており、沿川の住民の身近な空間としてスポーツ、野外レクリエーション、散策、伝統行事、イベント等に利用されている。また、水遊び等の水面利用も盛んである。
 水質については、流域が年々都市化する中で、本川の環境基準点でのBOD 75%値は1mg/・以下と全国的にも極めて良好な水質を維持しており、環境基準値を達成している。なお、豊川放水路では、度々赤潮の発生等による水質悪化が見られる。
 豊川水系における治水事業は、江戸時代に吉田の城下町を洪水から守るため、各所に設けられた霞堤に始まるといわれている。本格的な治水事業は、昭和13年から直轄事業として着手し、石田における計画高水流量を3,800㎥/sとする豊川放水路を含めた豊川改修計画を定め、豊川放水路工事に着手した。その後、昭和33年8月洪水、昭和34年9月伊勢湾台風による洪水等にかんがみ、石田における基本高水のピーク流量を4,700㎥/sとして、上流にダムを建設することを含めた計画に変更した。しかし、昭和43年8月、昭和44年8月と大洪水が相次ぎ、かつ、流域の開発が著しいことにかんがみ、石田における基本高水のピーク流量を7,100㎥/sとし、上流ダムにより3,000㎥/sを調節し、計画高水流量を4,100㎥/sとする計画を昭和46年に策定した。
 また、河口部の高潮堤防を昭和38年に、豊川放水路を昭和40年に完成し、豊川右岸の4か所の霞堤も同時に締め切った。その後、豊橋市内の狭窄(きょうさく)部対策や中流部の改修を実施している。
 なお、豊川左岸側には、今も4か所の霞堤が残っており、これらの地区では中小の洪水でも溢水による浸水被害が発生していることから、地域づくりを進める上での課題となっている。
 一方、流域内の新城市は、昭和54年に東海地震の地震防災対策強化地域に指定され、愛知県及び新城市においては東海地震を想定した防災計画が策定されている。
 河川水の利用については、豊川は、古くから沿川の水道用水や、松原用水・牟呂用水等の農業用水の水源として利用されてきた。戦後は、東三河地域及び静岡県浜名湖西部地域の農業用水、水道用水及び工業用水の需要にこたえるため、流域内の水資源開発に加え、一部は隣接する天竜川水系からの導水に頼らざるを得なくなった。このため、宇連ダム建設及び天竜川水系からの導水等による豊川用水事業が行われ、豊川は、東三河地域等の広域的な水利用を支える河川となった。その後、東三河地域等の水供給を確保するために水資源の総合的な開発及び利用の合理化を促進する水資源開発基本計画が平成2年に決定され、大島ダム建設等の豊川総合用水事業などが実施されている。この間、全国的にも早い時期に上下流地域が連携して水源基金を設立し、水源林地域対策等の取組みを進めている。現在、農業用水として約18,600haに及ぶ耕地のかんがいに利用されているとともに、東三河地域等の都市用水として約7㎥/sが利用されるなど最大約50㎥/sの取水が行われているが、近年の少雨傾向や水利用の進展等から水需給が逼迫し、渇水が頻発している。
 また、水力発電用水としては明治45年に設置された長篠発電所を始めとする3か所の発電所により総最大出力2,380kWの電力供給が行われている。
 豊川流域を中心とする東三河地域の主要産業は、輸送関連産業や食料品産業、生産性の高い農業などであるが、臨海部や周辺台地は、内陸工業地化・宅地化が進むなど、地域開発の進展とともに土地の高度利用が進んでいる。さらに本流域は、工業整備特別地域、地方拠点都市地域などの指定がなされた地区を擁しており、第二東名高速道路や三遠南信自動車道等の交通ネットワークの整備に伴い、愛知県の東部の拠点として今後一層の発展が期待される地域であり、豊川水系の総合的な保全と利用が果たす役割は大きい。

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豊川水系の流域図