矢作川

川名が語るふるさとの歴史

地名の由来藤岡飯野町の沿革

2015.05.21

地勢
 矢作川支流飯野川流域に位置する。

名所旧跡
 縄文時代の田ノ平遺跡・釜下遺跡・向屋下遺跡・下貝戸遺跡、中世陶器が出土した飯野・迫古窯跡群がある。

地名の変遷
 江戸期 三河国加茂郡飯野村。明治11年西加茂郡に所属。明治22年藤河村大字飯野。明治39年藤岡村大字飯野、昭和53年藤岡町大字飯野。平成17年4月1日から豊田市藤岡飯野町となる。

寺社
 林宗寺は、寛文11年洞から現在地へ移った。秋葉神社は、享保6年勧請され、宝暦2年現在地へ移された。

記録
 慶長5年伊保藩領、天和元年からは挙母藩領。寛永4年の村絵図では、家屋は全体に散在し、林宗寺・阿弥陀堂・郷倉は中下山御林とともに南東部に記される。

飯野事件
 宝暦2年の挙母藩の百姓一揆では、当村の山本(飯野)八兵衛が指導者となったため、飯野事件ともいわれ、八兵衛は刑死したが、村民はその恩義に報いるため林宗寺境内に葬った(猿投町誌)。
 明治中期に県道が開通してからは、辻戸を中心に村の中心地に発展。「西加茂郡誌」によると、寛文年間の発見と伝える飯野鉱泉があったという。岩村(岐阜県)に通じる岩村街道と明智(岐阜県)を結ぶ明智街道の交差する交通の要所であり、嘉永2年58戸を数えた。明治7年林宗寺を仮校舎にあて飯野小学校が開校。昭和15年藤井鉱業操業による社宅の建設や、豊田市の発展に伴い転入者も増加。昭和22年藤岡中学校が開校、全国初のスクールバスが運行したが、2年後廃止。昭和24年加茂丘高校前身の県立加茂高校藤岡分校が認可された。