矢作川

川名が語るふるさとの歴史

地名の由来保見地区の沿革

2015.06.23

地勢
 矢作川水系籠川支流伊保川流域に位置し、旧)尾張国と境界を接する。

名所旧跡
 式内社射穂神社、印文を「伊保郷印」とする、全国的にも貴重な平安期の郷印が現存(豊田市蔵)。白鳳期の古瓦を出土する白鳳寺遺跡。伊保遺跡、保見町・東保見町に所在。弥生時代~古墳時代にかけての集落遺跡。伊保川左岸の標高約70~75mの段丘上に東西1.4km・南北150mの範囲に帯状に分布する。弥生後期から古墳時代にかけての竪穴住居跡15・井戸状遺跡・溝状遺構・土壙を検出し、弥生式土器・古式土師器・須恵器・灰釉陶器・山茶碗、古墳時代の鋤・鍬・弓などの木製品が出土した。溝状遺構から出土した多量の古式土師器や円筒埴輪は遺跡の性格を知るうえで貴重な資料である。遺跡の初現は弥生中期で、後期から古墳時代にかけて全盛期を迎えたものと推定される。

地名の由来
 イボは漢数字の五百を指し、家屋の戸数、あるいは水田が多く集まった郷を表現した地名と推察される。

地名の変遷
 奈良期~平安期、三河国伊保郷(三河国加茂郡八郷の1つ)。南北朝期~戦国期、加茂郡高橋荘伊保郷。江戸期、加茂郡伊保郷。
 明治22年西加茂郡伊保郷の田籾・伊保堂・上伊保・殿貝津・下伊保の5ヶ村が合併して伊保村となる。明治39年橋見村と伊保村が合併し保見村となり、保見村大字伊保となる。昭和30年猿投町大字保見。昭和45年豊田市の八草・広幡・大畑・篠原・田籾・保見・保見ケ丘・東保見・貝津・浄水・大清水・伊保町となる。

記録
 江戸期、加茂郡伊保郷。慶長5年伊保藩領、寛永15年幕府領。