矢作川

川名が語るふるさとの歴史

地名の由来渡刈町の沿革

2015.05.22

地勢
 矢作川と巴川の合流点付近の矢作川右岸に位置する。

名所旧跡
 地内に先土器時代の大明神遺跡、縄文時代の北田遺跡と西糟目遺跡(消失)、古墳時代の鳥狩塚遺跡などがある。

地名由来伝
 「碧海郡誌」が「持統上皇参河に御幸時、末の原野に於て鷹刈し玉ひしより起れり」と誌し、渡刈は鳥狩の義であるとする。

地名の変遷
 戦国期、三河国碧海郡碧海荘都賀利郷。
 江戸期、碧海郡渡刈村。明治22年寿恵野村の大字となる。明治39年上郷村、昭和36年上郷町、同39年からは豊田市の大字となる。同42年豊田市トヨタ町・豊栄町・幸町・渡刈町となる。

記録
 岡崎藩領・幕府領・岡崎藩領を変遷。矢作川右岸にあたるためたびたび洪水にあい、ことに明和4年の大洪水によって堤防が決壊したので、水難を避けて高台へ移る者が多くなり、北の高台を上渡刈、従前の地を下渡刈と通称するようになる。末野ケ原は広大な原野だが、別名を論地ケ原ともいった。この別名は、明和年間に鴛鴨村・大林村・下市場村との間に土地争論が起こり、和解して境界が定められたことによる。昭和34年伊勢湾台風により矢作川渡刈二重堤が決壊。

寺社
 浄土宗大通院がある。仁寿元年創建と伝える糟目春日神社は、古来糟目神社と称していたが、宮路村(岡崎市)の糟目神社と明治5年社名論争を起こしたのを契機に改称。『角川地名大辞典』