矢作川

川名が語るふるさとの歴史

地名の由来稲橋村の沿革(現:稲武町)

2015.05.20

地勢
 名倉川右岸に位置する。

地名の由来
 
江戸期には名倉川を隔てた武節町村の飛地が多くあり、稲作のため橋を渡ったためとも、伊那(長野県)に接するためともいわれる。

地名の変遷
 
はじめ、三河国加茂郡稲橋村、江戸前期からは設楽郡に編入。明治11年北設楽郡に所属。同22年夏焼・稲橋・中当・野入・大野瀬・押山の6か村が合併して稲橋村成立。明治30年からは武節村と組合村。昭和15年稲武町の大字となる。平成17年から豊田市稲武町となる。

寺社
 
八幡神社。寺は寛永年間創建の臨済宗瑞竜寺。末寺として大休寺が明暦4年から明治13年までマノ(通称山寺)にあった。

記録
 
稲橋村は名倉川に面していながら河床と水田との高低差が大きいため遠方より樋により水を引いていたが、延宝4年より井山の山林を公儀へと差し出し、見返りとして大井平より取水する大がかりな用水路の工事が国役普請で行われた。享保年間頃、美濃国中津川より当村へ移住し酒造の権利を得た古橋家は、豪農へと成長し武節郷一帯の指導者的存在となった。6代目の古橋源六郎暉皃は、天保の飢饉の体験を基に植林や備荒貯穀を呼びかけ、また、明治新政府の殖産興業施策を受け入れて茶の栽培や養蚕を地域に広げた。

経済
 
名倉川を隔てて隣接する武節町村には伊那街道の継立場として武節宿が置かれたが、当地と合わせて稲武宿とも呼ばれた。明治16年に井山の官林が払下げになると、木挽きなどとともに木地師が入山。『角川地名大辞典』