矢作川

川名が語るふるさとの歴史

地名の由来足助地区の沿革

2015.06.23

地勢
 足助川と巴川の合流点付近の河岸段丘上に位置する。

名所旧跡
 縄文時代の遺跡が6か所あり、なかには弥生・古墳時代の遺物を出土するものもある。大部分は平安期以降の遺物が出土。
 平安末期の飯盛山経塚、鎌倉期の飯盛山城跡、戦国期の足助城(真弓山城)跡、応永34年創建の曹洞宗香積寺、文正元年再建の足助八幡宮本殿(国重文)がある。また、光勝庵と呼ぶ寺もあった。大正13年現在の香嵐渓に町民が楓を植樹、昭和5年に香嵐渓と命名して戦後観光の拠点となる。昭和55年三州足助屋敷ができ、通年型の観光地となる。

地名の語源由来
 アスケは安住の地に由来する飛鳥・安住処と同義語と思われ、当地は古くから交通の要地であることから「足助」と表記したと思われます。

地名の変遷
 鎌倉時代から戦国時代は三河国加茂郡足助荘。その範囲は巴川上流の山間地域で旧)東加茂郡下山村・旧)足助町・旧)旭町と旧)松平町、及び北設楽郡の北部を荘域とした。荘内には仁木郷のほか大田加(大多賀)・野原村・阿摺村・介木郷・外下山内滝脇郷・戸島ノ郷中ナベタ村(加茂郡)、名倉郷・野入村(設楽郡)が在る。
 江戸期には、三河国加茂郡足助村となり、明治2年三河の伊那県支配地を管轄する伊那県足助支庁が置かれ、明治11年東加茂郡に所属し、その郡役所が置かれる。同22年、足助・中之御所・今朝平の3か村が合併して足助村となる。明治23年町制施行足助町となる。昭和30年盛岡村・賀茂村・阿摺村を合併し、合併各村の大字を加えた80大字を編成。平成17年豊田市と合併し、大字はそれぞれ町となり豊田市79町となる。広域地名として足助地区が残る。

記録
 明治30年伊勢神トンネルの竣工により、飯田街道は運送馬車の通行が可能となったが、同44年の国鉄中央線の全線開通によって物資の中継基地としての性格は薄れ、以後東加茂郡の政治・経済・文教の中心地となった。

足助の伝統的建物群保存地区-1

足助の伝統的建物群保存地区

足助川
 安住の地に由来する足助地区には川を愛でる風土があります。中馬街道に面した喧騒な町屋の表玄関と、足助川に面した屋敷の裏口とはまるで趣きが異なります。

4.(2).1) 足助川2-1

足助川と町屋