矢作川

川名が語るふるさとの歴史

川名の由来巴川 ともえがわ(矢作川支流)

2015.05.20

ガラ紡川名の由来
 一説、作手村コウズ地区で巴のように大きく曲流することから付けられた川名。『川名大辞典』
 二説、三河湖の上流、新城市作手村に巴山EL719mがあり、この山名に由来する。巴山は三河三大河の水源で、東征する日本武尊が巴状に水が流れ行く様を見て巴山と名づけたという(宮崎村誌)。
 三説、下山地区羽布町(三河湖)を源頭に北流し、足助地区飯盛山を北端に南西に湾曲し岡崎市との境界で矢作川に合流する川の容姿が巴の様だと表現した川名か。
 なお、豊田市巴町は昭和61年に成立した町名であり、巴川を冠した町名である。

巴川の概要
 南設楽郡作手村の盆地中央部に豊川水系の巴川との分水点があり、ここから川は北東に向かい作手村善夫地点で北西に方向を変え、東加茂郡下山村を抜けて同郡足助町に入り、神越川を合わせて足助川合流点で大きく南西に流れを変え、豊田市に入り、仁王川・滝川・郡界川を集めて矢作に注ぐ。下山地区平瀬町あたりから足助地区足助町にかけての峡谷は、こもでしの滝や香嵐渓の名勝を有し、愛知高原国定公園の一部をなす。

巴川の舟運
 巴川の水上運送は江戸期から大正初期まで盛んに行われた。舟運は矢作川河口から平古(豊田市松平地区岩倉町)・九久平(豊田市松平地区九久平町)までで、特に三河湾産の塩を信州まで運ぶのに利用された。竹木の管流し・筏流しも盛んで、足助・九久平・平古で荷揚げや組直しが行われた。

巴川利水の歴史
 明治10年代から始まった水車利用のガラ紡工業は、巴川と支流の郡界川・滝川・仁王川沿いで第2次大戦後盛んになったが、昭和30年代から急速に衰退した。巴川には明治41年から大正9年にかけて、巴川・盛岡・賀茂・足助・白瀬に水路式発電所が建設された。矢作川合流点の手前には細川頭首工があり、農業・工業・生活用水を採っている。下山村の平瀬、足助町の一の谷、豊田市の松平には毎夏ヤナ場が設けられ、観光客を集めている。『角川地名大辞典』

巴山伝
 巴山村は、額田郡の三河山地南部、男川・乙川に挟まれた山間地に位置する。夏山・千万町・木下の3か村が合併して成立。東端にある巴山は三河三大河の水源で、東征する日本武尊が巴状に水が流れ行く様を見て巴山と名づけたといい(宮崎村誌)、村名もこれにちなむ。明治23年栄枝村と改称。現)岡崎市千万町町巴山。

5.(2).1) 栃立町を流れる巴川-1