川名の由来

川名の由来

<保見地区~高岡地区>

川名の由来
 衣ケ原丘陵を取り囲むように西側を流れる(女川)と東側を流れる男川が南流し、駒場にて合流するさまは、「着物の褄(裾)が合うようである」と風流な先人が「逢妻川」と命名したと推察される。この逢妻川の川名を冠して「豊田市逢妻町・刈谷市逢妻町」二つの町が誕生した。

川の概要
 豊田市駒場で逢妻女川と逢妻男川が合流し逢妻川となり、知立市山屋敷町で御手洗川を集め、刈谷市内で恩田川を集めて境川に注ぐ。流路長約10.7kmの二級河川。

合流-1


<豊田市挙母地区~高岡地区>

川名の由来
 衣ケ原西方の(逢妻女川)に対し東方を流れる川を「逢妻男川」という。

川の概要
 三軒町辺りを源頭に南流し、前川・藤川・大切川などの小川を集め、駒場町で女川と合流して「逢妻川」となって刈谷市内を南流する流長12,136mの二級河川である。

8863_逢妻男川(若林西町)


<豊田市保見地区~高岡地区>

川名の由来
 この川が、衣ケ原丘陵を取り囲むように西方を流れ「逢妻女川」と呼ばれ、東方を流れる「逢妻男川」が南流し、駒場にて合流するさまは、「着物の褄(裾)が合うようである」と風流な先人が「逢妻川」と命名したと推察される。

川の概要
 豊田市大清水町を発し女川は逢妻町で、みよし市の境を流れる布袋子川と合流して逢妻女川となり、甲川・向川・毛無川など小川を集め、豊田市駒場町で逢妻男川と合流する流長15,737mの二級河川である。

8862_逢妻川女川(逢妻女川橋)


<畝部東町>

川名の由来
 この川の河口の地名、畝部東町「宗定」を冠した川名。

川の概要
 畝部東町地内を南流し、宗定地先で家下川の河口部に注ぐ小川。

むねさだ(宗定)の地名由来
 町名「畝部東」からムネは畝にて畝が定まった所。すなわち湿地の地に畝が高く定まった田畑の所と解釈される。


<渡刈町>

川名の由来
 この川の水源域の村名、旧)「渡刈村」を冠した川名。

川の概要
 渡刈町を水源に南下して、配津町→畝部西町→桝塚東町で家下川に注ぐ小川。

とがり(渡刈)の地名由来
 トガリは、湿原に繁茂していた葦草を苅る所。太古の時代には葦は建築資材に重宝した。


<上郷地区>

川名の由来
 この川が流れる所の地勢を表現した川名で、家下は谷地の転にて湿地を流れる川を意味する。

川の概要
 家下川は上郷地区を流れる流路長4,400mの一級河川である。

やした(家下)の地名由来
 ヤシタの語源は、低湿地を意味する「谷地」が転訛したと推察される。

家下川の美化活動
 上郷地区は「下家川を美しくする会」・「家下川たんけん隊」・「畝部小学校と稲武小学校の川遊べ交流」など地区ぐるみで美化活動が行われている。


<神田町・十塚町・松ケ枝町・錦町・元宮町>

川名の由来
 もと挙母村字初陣を冠した川名。現)十塚町地内豊田郵便局南「初陣公園」の辺り。平成の現在は、安永川西支線とも呼ばれる。

川の概要
 神田町1丁目を始点にして高台の小阪本町・常盤町の雨水を集め元城町・十塚町・松ケ枝町・錦町・元宮町の雨水を集めて、水門橋で安永川に注ぐ排水路。

はつじん(初陣)の地名由来
 定かでないが、挙母藩時代に、この地から初陣に出たことを記念する伝承地名と推察される。明治15年の字地名には記載されていない。

まつがえ(松ケ江)の町名由来
 松は末、枝は江、末ケ江=端に川が流れることを「松ケ枝町」と表記した町名。


<前田町>

川名の由来
 この川が安永川に合流する河口の地名「長興寺字長田」を冠した川名。

川の概要
 樹木町に発し・新生町・御幸町・丸山町・前田町・秋葉町と長興寺の境を流れ安永川に注ぐ小川。

おさだ(長田)の地名由来
 村長が領する水田のある所か、あるいは最初に開墾された水田のある所。


<明和町・河合町>

川名の由来
 河口の地名旧今村字「大谷」を冠した川名。

川の概要
 明和町1丁目のトヨタ排水機上に端を発し明和町地内を南に流下し、河合町と上郷地区渡刈町の境を南東に流れ、渡刈町大明神で明治用水をアンダーパスし、河合町7丁目で矢作川に注ぐ排水路。


<水源町>

川名の由来
 この川の河口の地名、挙母村字「小丸尻」を縁起の良い「八尻」に変えた川名。

川の概要
 水源町を流れ矢作川に注ぐ。河口で明治用水と交差する。

やしり(八尻)の語源由来
 挙母村字小丸尻の小丸は「小さな山」を指し、尻は「裾・下端」を言う。小丸は困るに通じ縁起の良い「八尻川」としたと推定される。