その他

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 昭和47(1972)年7月3日から13日まで全国的に降った大雨は昭和47年7月豪雨と命名された。愛知県では9日から雨が降り続き、11日までの雨量は多い所で150㎜を超えた。12日夜遅くからは、本州上に停滞する梅雨前線上を東進する低気圧の影響で、雨は激しさを増した。特に西三河地方を中心に局地的な集中豪雨となり、豊田市(県雨量観測所)では、13日の00時〜01時の1時間に84㎜、12日22時から13日02時までの4時間に214㎜の非常に激しい雨となった。9日から13日までの総雨量は多い所で450㎜に達した。

 矢作川沿いの三河地方では、中小河川の決壊や先行降雨で地盤が緩んでいたこともあり、山・がけ崩れが相次ぎ、県内では小原村の36名をはじめ、藤岡村、豊田市および足助町など死者63名、行方不明者4名の犠牲者を出す大災害となった。

豪雨

昭和47年7月13日 中日新聞・朝日新聞