川名の由来

川名の由来

川名の由来
 『愛知郡誌』に上流の美濃国内(岐阜県)を土岐川と呼び、尾張国内(愛知県)では庄内川に統一されるまでは、村ごとに、玉野川・勝川・枇杷島川・番場川・一色川・味鋺川・小田井川などと呼ばれ、地域によって異称があった。
 庄内川という名称は、流域に山田荘という荘園があったことに由来するという。出典『地名辞書』

川の概要
 美濃三河高原(岐阜県恵那郡山岡町にある夕立山)に源を発し、木曽川・矢作川の2大水系の間を南西流して伊勢湾に注ぐ。一級河川。流長96km・流域面積1,010㎢。年間総流出量は8億2,236万㎥(昭和13~59年の枇杷島地点における平均)。

流域の地形
 ほぼ長方形をした流域の上流部は岐阜県域で、佐々良木川・小里川(平成16年3月に小里川ダム竣工)・妻木川などの支流を集めながら、多くの狭窄部と瑞浪・土岐・多治見などの小盆地を貫流する。
 多治見の南西で愛知・岐阜県境の丘陵地に峡谷をうがち、濃尾平野に出る。
 新川洗堰で新川を分派し、猿投山に発する矢田川を合わせたのち、名古屋市の北・西部を迂回して伊勢湾に入る。

名古屋城
 左岸に名古屋城を取り囲むように流れているため、城を水害から守るために何回も普請を行っているが、宝暦7(1757)年・安永8(1779)年・嘉永3(1850)年・明治元(1868)年・同29(1896)年などに大被害を受けている。

舟運
 舟運は、本支流ともに下流部においてのみ利用されていた(庄内川流域史)。
 古くは荘園の米の積出しに利用され、中世後期には庄内川を溯航して清洲まで舟が行き来していた。

利水
 利水は農業用水が主。

庄内川の汚染等
 流域の地質が風化しやすいのに加え、上流域の土岐川沿岸は多治見、土岐、瑞浪などの窯業地帯で陶磁器原料の採掘・洗浄、中流部以下の工場廃液、さらに名古屋市の都市下水などの流入で、下流部の汚濁は甚だしく、わが国有数の白濁河川といわれた。
 また、下流の洪水も頻繁で、五条川との間には天明年間(1781~1789)新川が開削された。
 昭和46年の水質汚濁防止法の施行以来、工場・事業所への規制強化などの諸施策により、近年は清流化が進み、河口周辺(藤前干潟)は国内最大級のシギ・チドリ類飛来地。平成14(2002)年ラムサール条約の登録湿地に指定された。

全国の庄内川
 愛知県(一級庄内川水系)・岡山県(一級旭川水系)・福岡県(一級遠賀川水系)・宮崎県(一級大淀川水系)に存在する。『角川日本地名大辞典』

庄内川・定光寺

庄内川・鹿乗町 (2)-1


(庄内川の上流域。岐阜県では土岐川と呼ぶ)

川名の由来
 土岐市を冠した川名。

川の概要
 源である夕立山(標高727m)の北麓から屏風山断層崖を流れ、中切付近で急に西に方向を変えてからは、いわゆる東濃の第三紀丘陵地帯を流れて、恵那市・瑞浪市・土岐市・多治見市などの市街地付近をほぼ北東から南西に流れ、春日井市で愛知県に入り、川名を「庄内川」と変えて伊勢湾に注ぐ。
 愛知県春日井市との県境付近の春日井側では「玉野川」と呼ばれる場所もある。
 岐阜県内の流路延長約51km(河川法区域延長約43km)。県内の瑞浪市域で左岸に佐々良木川・小里川、瑞浪・土岐両市の境で右岸に日吉川、土岐市域で左岸に肥田川・妻木川、多治見市域で右岸に高田川・大原川、左岸に笠原川・市之倉川など多くの支流を合わせる。土岐川とこれらの支流に沿った地域では、第三紀層に由来する良質の陶土を産し、古くから製土業や陶磁器製造業などが盛んに行われた。また小里川の上流に沿った山岡町では、大正年間から寒天生産が行われている。出典『角川日本地名大辞典』


<春日井市-小牧市-豊山町-北名古屋市-清洲市-海部市との境界-名古屋港>

川名の由来
 人口の新しく造られた河川。人工河川であるため濁音をつけず、“しんかわ”と読む。

河川概要
 名古屋市北区楠町の庄内川からの分派点を上流端とし、ほぼ庄内川の右岸を並行して南下し、伊勢湾に注ぐ一級河川。流長24.27km・流域面積245.4㎢。
 新川はその名の通り、新しく造られた人工河川で、新川流域内の主要河川である大山川、合瀬川、五条川は、もともと庄内川に直接流入していたが、庄内 川の河床上昇に伴う堤防決壊の防止と支川の排水状態改善のために、これらの河川を直接海へ導くよう、天明7(1787)年になって新川開削が行われ人工河 川を築いたとされている。
 この新川には、五条川を始め、青木川、合瀬川、大山川及び新地蔵川等、22の一級河川が合流し、伊勢湾に注いでいる。

新川流域の概要
 一級河川庄内川水系新川の流域は名古屋市の北部に位置し、木曽川及び庄内川に挟まれた樹枝状の形をした流域で、北東から南西に向けて緩く傾斜している。
  この地域の河川は、北方から木曽川の緩扇状地と自然堤防の発達している氾濫平野が展開し、この中を旧河道に沿う多くの流路を集めて五条川が流れ、東方から は低い台地を経て大山川等が貫流するとともに、庄内川の人工派川である新川に集められ、低地の中を延々と流下し、伊勢湾に注いでいる。
 新川流域は、名古屋市を含む15市町(名古屋市、一宮市、春日井市、犬山市、江南市、小牧市、稲沢市、岩倉市、清須市、北名古屋市、あま市、豊山町、大口町、扶桑町、大治町)にまたがっており、新川を含めて23の一級河川が存在している。
 こ の流域は中京経済圏の中心をなす名古屋市の一部または隣接地域であり、かつ交通の便に恵まれていることから、近年著しく流域開発が進み、保水機能を有して いた上流部の丘陵地や自然の遊水機能を有していた沿川地域にも人口及び資産の集積が進み、流域面積約250㎢の約60%が都市化されている。

人口排水路設置の歴史
 庄内川の治水事業は、慶長15(1610)年徳川義直の名古屋城築城と共に始まったと言われており、同19年に現在の堤防位置に堤が築かれた。その後、庄内川下流部右支流の合流点付近の湿地の改善と、庄内川下流部の洪水被害軽減等を目的に、新川の開削及び新川洗堰の築造をはじめとする「天明の治水」(1784年)が行われた。
 江戸期庄内川の幾多の氾濫に対する住民からの尾張藩への嘆願と連続する水害により、藩は参政人見弥右衛門・勘定奉行水野千之右衛門らに、新川開削の工事を命じた。天明4(1784)年味鋺村・大野木村境の庄内川堤防を、上辺約73m・下辺約55mの間口で堤防の中程まで切り下げて洗堰とし、新たに開削した分流川へ排水する工事に着手、天明7年完成に至ったと言われている。工事は、 洗堰からあふれた水を一度大蒲沼(北区大我麻町)に落とし、江松村(中川区富田町)あたりから曲げて再び庄内川に合流するまでの区間約20kmを、湿地帯や庄内川旧河道などを利用しながら川幅60~70mを掘り下げる大工事であった。喜惣治新田・大蒲新田などの池沼地帯の水を海に落とすことも工事の大きな目的であった。
 文政2年比良堤(師勝町久地野)に、新川沿いの28区村の住民が水野千之右衛門の功績をたたえて碑をたてた。

その後の改修経過
 その後、庄内川河床の上昇によって新川への流入量が増加し、堤防が弱体化したため、明治16年大改修、昭和2年以後改良計画に基づく工事が実施され、新川を直接伊勢湾に流入させる。
 近年では、昭和57年に新川流域治水計画を決定、平成3年を目途に、毎時雨量50mmに対応できるように河川を改修、さらに新川治水緑地など遊水施設6ヶ所と放水路を新設することにした。
 また、平成12年9月の台風14号及び秋雨前線がもたらした東海豪雨による洪水は、既往最大流量を記録し、派川新川の破堤などにより、水害区域面積10,487ha、被害家屋34,049棟となる甚大な被害をもたらした。それにより、庄内川及び新川では、河川激甚災害対策特別緊急事業により、河道の掘削、堤防の補強、橋梁の架け替え等の整備が進められた。

新川洗堰の構造
 楠村と山田村の境の庄内川の右岸堤を切り落とし、延長40間(約73m)の築造とし、庄内川の洪水が五合(半分の高さ)を越えるようになると流れる高さとした。構造は木枠を組み、石籠を並べ両側は石積みとしている。引用文献:『角川日本地名大辞典』他
 現在の洗堰は、東海豪雨の被災後、庄内川下流部の河川改修が行われ、堰は1mの嵩上げがされ、新川への越流量が大幅に軽減された。
 新川治水緑地は、新川・新地蔵川から越流堤をかいして、洪水を一時貯留して新川本川を流下する流量を低減させる遊水地で、平時はグラウンドや公園として使用されている。
 現在は、庄内川と新川の流域面積及び延長が大きく異なり洪水到達時間に差が出来るため、庄内川洪水が越流する前に治水緑地へ到達した新川の洪水を先に貯留することが可能となる。つまり、先に到着時間の早い新川の洪水が流入し、遅れて庄内川から越流した洪水を流入させる2方向から流入する複雑なメカニズムとなっている。


<犬山市-大口町-江南市-小牧市-岩倉市-一宮市-稲沢市-北名古屋市-清須市>

川名の由来
 一条~五条は京都を始め、古くは町作りで地名を表すことが多いが、複数の川が重なる意味を表すこともある。
 五条川は、御囲堤築造以前は一之枝川・二之枝川・三之枝川始め、数本の派川が流れこんでいた。御囲堤築造後も、合瀬川・巾下川・薬師川・原川・木津用水等複数の川が重なっている川名と推察される。
 五条川は、愛知県犬山市池野地先入鹿池に源を発し、大口町、江南市を南西に流下し、小牧市、岩倉市、一宮市、稲沢市、北名古屋市、清須市の境界に沿って流れ、8.3km地点で右支川青木川と合流後、春日町、清須市を流下し、清須市地内で新川に合流する。流域面積は114.8㎢、河川延長28.2kmの、新川流域では最大の流域を占める庄内川水系の一級河川である。主な支川は、青木川、巾下川、矢戸川、境川及び半之木川である。
 流域の開発状況は、昭和60年時点で流域の約50%が市街地となっており、将来的にもさらに市街地化が進むものと予測される。
 利水面では、木津用水の受益地区で、随所にみられる用水堰により、広く灌漑用水として利用されている。
 河川周辺の環境は、清須市内を中心に堤防上のかなりの区間に桜並木が残されており、良好な景観を示すとともに、桜まつりなどの祭事・イベントの舞台としても利用され、地域の緑化に貢献している。
 河川内水域も魚釣り等に利用されるなど、地域・住民と深くかかわり親しまれている。
 なお、青木川合流点(8.36km地点)より下流域は、洪水時自然排水が困難となる内水区域となっている。

2_五条川・岩倉市大市場町CIMG1982

2_五条川・下之郷堰

下之郷堰

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<犬山市-江南市-一宮市>

川名の由来
 木曽川扇状地の「扇」を「あおき」と読み、青木川となったといわれる。

河川概要
 犬山市上野に発し、江南市・一宮市を南西流し、さらに一宮・稲沢両市の境を流れ、五条川に注ぐ、河川延長20.85km・流域面積51.8㎢の一級河川で、犬山扇状地を流れる。江南市前野あたりから南下していた木曽川の氾濫した流れが、木曽川築堤後、悪水となって残された河川。昭和25年下流から改修工事を開始。同27年に完成した。以後、流域の湿田も乾田となり、米麦の増収に役立った。現在、青木川用水(岩倉用水)がほぼ並行して流れる。

3_青木川・一宮市千秋町


 堀川は、愛知県名古屋市を流れる庄内川水系の一級河川。
 堀川は、名古屋市の中心部を南北に貫く川で、庄内川より分派し、矢田川を暗きょで横断し、名古屋城の西から市の中心部である納屋橋地区を通り、熱田台地の西に沿って南下し、名古屋港へ注ぐ延長16.2kmの河川で、このうち、名古屋港から猿投橋の落差工(段差)までは、潮の満干の影響を受ける感潮区間。
 名古屋市守山区にて庄内川から取水する形で発祥し、矢田川を地下水路で伏越したのち名古屋城のある南西方向へ流れる。名古屋城を北側から西側に回りこみ、その後名古屋市中心部を南方向へ流れ伊勢湾(名古屋港)に注ぐ。流域面積:52.5 km²、水源:名古屋市、河口:伊勢湾、延長:16.2 km。

名古屋城と堀川
 名古屋城ができる前のこの地方の中心地は清須(清洲)であったが、清須城は手狭で、水攻めへの弱さが懸念されたことから、徳川家康は慶長15(1610)年に名古屋台地の北西端に名古屋城を建設し、清須から町ぐるみで移転した。慶長18(1613)年には、この「清須越し」がほぼ完了し、名古屋の町は誕生した。
 堀川は、築城と同じ慶長15(1610)年に、福島左衛門大夫正則により、海に面していた熱田と名古屋城下を結ぶ川が名古屋台地の西に沿って開削された。名古屋城西の幅下から熱田まで長さ1里半余り(約6km)、幅12から48間(約22から87m)の堀川が誕生した。堀留(上流端)は、名古屋城の外堀に設けられた辰の口(排水口)と水路でつながり、お堀の水が堀川に流入していた。
 堀川は名古屋城下の住民が必要とする大量の物資輸送の動脈で、「尾張志」には「諸国の商船、米穀、炭、薪、竹木、器財、魚菜の類、諸雑物を運送するに此川を出入りし、府下第一の用川也」と記載されている。沿川には多くの豪商が住まいを構えて、川沿いには荷物を保管する蔵が堀川に向かって建てられていた。
 また、尾張藩領であった木曽からは良質のヒノキ等が木曽川を下り伊勢湾を横切り堀川をさかのぼって城下に搬入された。当時の河口近くには広大な貯木場が設けられ、上流の市街地には木材を扱う商人等が住み、元木材町や木挽町(現:中区丸の内、錦、栄一丁目)などの地名を残した。

黒川 くろかわ
 犬山方面と名古屋の舟運等のため、明治10(1877)年に黒川開削、明治16(1883)年に新木津用水が改修された。従来は、木曽川経由で7日かかって輸送されていたのがわずか4時間に短縮され、明治19(1886)年から大正13(1924)年までは、愛船株式会社による運送事業が行われた。
 改修は愛知県技師の黒川治愿(1847~1897)によって、実施されたことから堀川の朝日橋から矢田川手前の黒川樋門の間の区間は通称として「黒川」と呼ばれている。また、1976年まで名鉄瀬戸線に「堀川駅」という堀川に面したターミナル駅があったのは、愛知県瀬戸市で生産された瀬戸焼を、堀川を通じて輸出するためであった。
 名古屋城の堀からは辰之口水道大樋(現在の朝日橋と大幸橋の間)から堀川に放流されるようになり、これにより堀川に河口方面への流れが生じるようになったとされる。黒川開削に際して、御用水についても黒川と同じ庄内用水頭首工からの取水に切り替えられ、以後黒川と御用水は名古屋城近辺まで並行して流れる形となっていたが、昭和47(1972)年に御用水は黒川に統合される形で埋め立てが行われている。また、埋め立て後は1974年に御用水跡街園として整備されている。
 昭和7(1932)年に中川運河が堀川とつながり、松重閘門により水位が違う両河川を行き来できるようになった。これにより堀川中下流部の舟運の混雑が緩和されたが、トラック輸送の発達とともに利用が減り、昭和43(1968)年を最後に閘門は閉鎖され、昭和51(1976)年に使用廃止と保存が決定された。
 平成8(1996)年に宮の渡し、平成9(1997)年に名古屋国際会議場、平成13(2001)年に納屋橋、平成17(2005)年に朝日橋の船着場が整備された。都心と港を直接結ぶ交通路として、またユニークな遊覧の場所として、今後さらに利用が高まり沿川地域の活性化がはかられることが期待されている。

庄内用水
 現在の庄内用水は、堀川と同じく庄内用水頭首工にその端を発し、矢田川伏越後に堀川と分岐して名古屋市北区、西区、中村区、中川区、港区を流れる。これらの流域では笈瀬川・惣兵衛川・米野川という名で呼ばれることもある。

松重閘門 まつしげこうもん
 松重閘門は、堀川と中川運河を結ぶ地点(松重橋 - 山王橋間)に設けられた閘門。名古屋市中川区山王にある。連絡を行うにあたり堀川と中川運河の水位に差があることから、パナマ運河と同様の閘門による水位調整を行っていた。1932年より運用を開始し堀川を用いた水運に用いられてきたが、その後内陸部の運輸の主体が自動車に移行し通行船舶量が減少したことから、1968年に閉鎖、1976年に公用廃止となり閘門間の水路は埋め立てられた。閘門の象徴である2対4本の尖塔は保存されている。

新堀川 しんほりかわ
 新堀川は、愛知県名古屋市を流れる一級河川である。合流する堀川が庄内川より取水しているため、新堀川も庄内川水系に属する。
 愛知県名古屋市中区にある堀留水処理センターを起点として、精進川低地に沿って市内を南流し、南区明治にて堀川へと注ぐ。流路は中区、昭和区、熱田区、瑞穂区、南区の境となっている。

精進川から新堀川へ
 かつて今池辺りを源流として名古屋台地を流れていた精進川(昔、熱田神宮の神職が6月の名越の祓の際にこの川でみそぎをしたことからこの名が付けられたと言われる)は多くの湧水による豊富な水量を持っていたが、曲がりくねった川筋が洪水の原因ともなっていた。この洪水の発生を防ぐとともに、船舶の航行と下水処理水の受け皿とするため、明治16(1883)年に運河として改修する計画が建てられ、明治43(1910)年に現在の川筋に付け替えられた。新堀川という名称はこの付け替えの際に付けられたものである。なお、元の精進川は大正15(1926)年に埋め立てられ、消滅している。

中川運河
 中川運河は、愛知県名古屋市港区の名古屋港から、中川区の旧国鉄笹島貨物駅(1986年11月1日廃止)の間を結ぶために掘られた運河、昭和初期から30年代頃まで、名古屋地域における中心的な水上輸送路として活用された。
 従来この付近には中川(笈瀬川)と呼ばれる川が流れており、悪水の排出がなされていた。名古屋城築城の際には石垣に使う石の輸送はそれを使って行ったことがあったとされる。

新木津用水
 新木津用水は、愛知県丹羽郡大口町を流れる合瀬川(木津用水、または古木津用水)を取水源とする農業用水である。
 愛知県丹羽郡大口町中小口にて合瀬川(木津用水)より分岐する。大口町南部で、巾下川が交差。犬山市を経て、小牧市北部で3つの川(後川、佐久間川、薬師川)が合流し、原川が分かれる。小牧市中部で外堀川が分かれた後、小牧市南部で大山川と交差する。さらに、春日井市北部で西行堂川と交差した後、田楽を経て朝宮で八田川に合流し、庄内川に至っている。
 春日井の西部に「春日井原」という原野が広がっていた。春日井原の水不足を補うために用水を作る計画が立てられ、それが、藩営事業として1664年に完成したのが新木津用水である。
 この時期春日井原では多くの開墾が行われ、如意申村の人が如意申新田を開墾した(「春日井の近代史話」)。
 名称の由来は、1650年に完成した木津用水(合瀬川)と区別するために、木津用水を「古木津用水(ここっつようすい,こっつようすい)」、こちらを「新木津用水」とした。


<大山町地内>

川名の由来
 川が流れる、旧)大山村字「鰻谷」の地名を冠した川名。

川の概要
 内津峠を源頭にした、大山川最上流の渓流(砂防河川)。

地名の由来
 定かでないが、鰻のようにウネウネと滑らかに蛇行する渓流を表現した地名と推察。

4-2_鰻谷川


<小牧市大山~西春日井郡豊山町~北名古屋市地先にて新川に合流>

川名の由来
 この川の源流域、旧)大山村(現:小牧市大字大山)の地名を冠した川名。

川の概要
 大山川は主に小牧市及び西春日井郡豊山町を流れる流域面積46.8㎢、流路延長14.3kmの庄内川水系新川に流入する一級河川。
 小牧市東部の丘陵地帯にある砂防ダム、鰻谷ダムに源を発する。小牧市東部を横断するように流れ、道木川、池下川、新造川、新川、花塚川、薬師川(木津用水)が合流する。この木津用水の一部は大山川下を伏越で流下し、八田川に合流している。
 薬師川を合流した大山川は春日井市を経て再び小牧市南西部へと入り、外堀川、池田川、4.7km地点で西行堂川が合流する。西春日井郡豊山町では、名古屋空港下を流下してきた新境川と暗渠で合流。久田良木川を合せ、師勝町(現:北名古屋市)と名古屋市北区との境で合瀬川と合せ、新川と合流している。
 源流付近では、周辺住民によるホタルが飼育されており、毎年6月頃のホタルが飛散する時期には、それにちなんだお祭りが行われている。また、ホタルに関連した公園が、川沿いに整備されている。
 流域では、北部の桃花台ニュータウンを始め開発が著しく、たびたび浸水被害が発生していた。昭和50年代中頃に、名古屋空港内の大規模な暗渠化工事が行われ、その後県下最初の総合対策事業を始めとした本格的な河川改修が行われた。

大山地名の由来
 内津峠から続く丘陵に存在する大山寺の大山は、信仰の「拝む山・御山」を好字化して表現した地名と推察される。

4-1_大山川上流端右岸樋管が狐洞川

4-1_大山川・小牧市大山

4-1_大山川・春日井市牛山地内


<大山町地内>

川名の由来
 川が流れる、旧)大山村字「東洞」地名を冠した川名。

川の概要
 倉谷川の西側に隣接する東洞を南流し、大山川に注ぐ渓流(砂防河川)。

東洞地名の由来
 多くの谷洞が在る、旧)大山村の中で東側に在る洞を表現した地名と推察。

4-4_東洞川


<小牧市大字野口地内>

川名の由来
 一案)キツネは水源地の洞経路が三角の形となる洞を表現した川名。図形や地形が△の土地を「キツネ地(狐地)」という。二案)案源流域の「キツイ尾根(強尾根・険尾根)の間を流れる洞」を表現した川名、と推察される。

川の概要
 小牧市第一老人ホーム周辺の二つの池辺りから南流し、野口中田地先で大山川に注ぐ渓流(砂防河川)。

4-9_狐洞川