川名の由来

川名の由来

<西尾町>

川名の由来
 旧)西尾村の字地名「イモジ洞」を冠した川名。

川の概要
 明知町との境界付近を南流し、日吉神社の門前を経て19号線を潜って内津川に注ぐ渓流。

イモジ洞地名の由来
 イモジは「村外れの所」に在る洞を意味する地名用語。

イモジ洞川・西尾町


<西尾町>

川名の由来
 旧)西尾村の字地名「白川」を冠した川名。

川の概要
 オールドレイクGCコース内の池を水源に南流し、日吉神社近くで内津川に注ぐ渓流。

地名の由来
 シラカワは竜が暴れ土石流が多く発生する川名で、恐らくこの白川の流域も崩壊地が多かったと推察される。

白川・西尾町


<西尾町>

川名の由来
 この川の水源である五ケ村溜池は、五つの村が共同で作ったことを継承する川名と推察される。

川の概要
 五ケ村池を水源にオールドレイクGCコースを南流し、19号線を潜って内津川に注ぐ渓流。

地名の由来
 五ケ村とは、西尾村と内津川下流部の村々と想像されるが不詳。

ゴルフ場の中を流れる五ケ村川

五ケ村川上流端五ケ村池(春日井市西尾町) (1)

五ケ村川上流 五ケ村池

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<内津町>

川名の由来
 川が流れる、旧)内津村字「清水」地名を冠した、清水地内の真ん中の洞(谷川)を表現した川名と推察。

川の概要
 土岐川との分水嶺を源頭に渓谷を西に流れ見性寺の脇を流れて内津川に注ぐ谷川。


<内津町>

川名の由来
 川が流れる、旧)内津村字「北山」の地名を冠した川名。

川の概要
 国道19号線内津サービス脇の池を水源に南流し、妙見稲荷社の門前を流れて内津川に注ぐ渓流。

北山地名の由来
 表記文字のとおり、村の北方に在る山の所を表現する地名。

内津神社を流れる北山川・内津町


<内津町>

川名の由来
 川が流れる、旧)内津村字「上町」の地名を冠した川名。

川の概要
 国道19号線北山トンネルあたりを源頭に、南に流れ内々神社門前を経て旧道に沿って流れる内津川に注ぐ渓流。

上町地名の由来
 内津村は内津川の上流から上町・中町・下町・北山・南山・清水の5区画の字地名が付けられ、上町は一番上流に位置する区画。

内津川上流端の内津山町川・内津町


<内津町~春日井市地内>

川名の由来
 源頭の「内津峠」に由来する川名。

川の概要
 岐阜県多治見市との分水嶺「内津峠」を源頭に南流し、22支流を集めて春日井市桜佐町内で庄内川に注ぐ流路長13,945mの一級河川。

内津地名の由来
 山稜を越える峠道は地形が空ろ(U形に抜けた)になった所を通る。この地形を「内津峠」と表現した。大和尊命伝説が内津神社に伝わる。「内津峠」は春日井市と岐阜県多治見市の境にある峠。標高236m。現在は国道19号が県境を内津トンネルで越えるが、江戸期は下街道の峠であった。

内津川・西尾知内


<高座町>

川名の由来
 定かでないが、この川で身を洗い清める儀式が行われていたことを継承する川名と推定される。

川の概要
 高座山462mの西斜面の二つの谷の一つを源流に、西南に流れ新繁田川に注ぐ渓流。

高座(たかくら)地名の由来
 高座山は神々が天孫降臨される山であり、縄文人のイワクラ「巌盤・岩倉」信仰の霊山と推察され、五社大明神・山王大権現・燈明山高蔵寺などがある。また遺跡も多い。これらの事項から、この川は身を清める潔斎の儀式が行われた川と推察される。


 繁田川の放水路として繁田川に隣接して、昭和42年に設けた人口河川。
 新繁田川は、高蔵寺ニュータウンを源とし、途中、身洗川が合流し、庄内川に合流する河川延長約2.1km、流域面積3.3㎢の河川で、河道は0.9kmから1.6kmの約0.7kmの右岸が有堤になっているほかは、掘込河道である。河川幅は約10m、河床勾配は1/350~1/200である。
 河川の整備は、繁田川とともに、高蔵寺ニュータウンの開発に伴う河川改修が、昭和36 年から昭和42 年に実施された。この河川改修は、高蔵寺ニュータウンの開発に伴い繁田川の流路を途中から南流するように流路を変え、下流において身洗川が合流するように開削する工事で、この工事により現在の流路となった。この改修以前は、河川の東に位置する高座山付近に源を発する身洗川が新繁田川にあたる。


<出川町・大留町>

川名の由来
 川が流れる、旧)出川村字「鷺田」地名を好字2字化した川名と推察。また新は河川改修後に繁田川に「新」の文字を冠した川名。繁田川の流れる昔の出川村には鷺田地名がある。なお周辺の(高蔵寺村・大留村・白山村・気噴村)村の字地名に繁田はない。

川の概要
 繁田公園辺りを源頭に南流し、大留町で庄内川に注ぐ小川。

鷺田地名の由来
 鷺田の由来は定かでないが、野鳥の鷺が良く見られる水田地帯と推察され、昔は鷺の餌となる小魚など自然豊な環境であったことが想像される。