地名の由来

地名の由来

<小牧市>

地勢
 境川中流域に位置する。字鳥貝塚から石鏃が出土し、字牛屋に古墳があったとされるので(小牧市史)、古代に集落が形成されていたと推定できる。中世には原野が多くなった。

地名の変遷
 〔近世〕入鹿出新田村:江戸期~明治22年の村名。尾張国春日井郡のうち。北外山入鹿出新田・入鹿出新田とも称した。尾張藩領。小牧代官所支配。明治13年東春日井郡に所属。同22年境村の大字となる。〔近代〕入鹿出新田:明治22年~現在の大字名。はじめ境村、明治39年小牧町、昭和30年からは小牧市の大字。大正13年の戸数107・人口585、同15年の田59町3反余・畑22町1反余(小牧町史)。大正初期耕地整理が実施された。
 村高は、「天保郷帳」366石余、「旧高旧領」入鹿出新田として377石余。「寛文覚書」には、北外山村の項目の中に北外山入鹿新田とともに、同所入鹿出新田として記載されているが、地理的には相当な隔たりがある。同書によれば、高366石余、田31町余・畑9町余、屋敷付野方5町余、家数32・人数173、馬19。「徇行記」によれば、北外山入鹿出新田として北外山村とは別個に書き上げられ、寛永10年入鹿池之造成によって入鹿村は池之底に沈んだが、同村から当村に9人の百姓が移住して名が付いたといい、家数66・人数271、馬8。

寺社
 神社は、神明・白山。寺院は、曹洞宗円昌寺。