地名の由来

地名の由来

<小牧市>

地勢
 合瀬川中流域に位置する。小牧山の北東部に広がる地域で、小牧・長久手の戦で、天正12年3月28日徳川方と羽柴方の動きの中に「小牧へ陣替候、羽柴小牧原押出候」とある(家忠日記)。

地名の変遷
 〔近世〕小牧原新田村:江戸期~明治22年の村名。尾張国春日井郡のうち。小牧原新田とも称した。寛永10年入鹿池之完成に伴い新田開発が行われ、寛永17年当村も開発され、寛文2年縄入が行われた。尾張藩領。小牧代官所支配。明治13年東春日井郡に所属。同22年小牧町の大字となる。〔近代〕小牧原新田:明治22年~現在の大字名。はじめ小牧町、昭和30年からは小牧市の大字。大正13年の戸数265・人口1,469、同15年の田151町余・畑29町8反余(小牧町史)。昭和6年名岐鉄道が開通。また、県道・市道なども開通し、交通の便の良さから昭和18年に中京機械製作所が建設され、同34年頃からは中小の工場が建ち市街地化が急速に進んだ。一部が、同50年懐町・城東町・大新田町・上新町、同62年新町1~3丁目、同63年小牧1~5丁目となる。
 村高は、「天保郷帳」780石余、「旧高旧領」789石余。「寛文覚書」によれば、780石余、田70町余・畑18町余、家数39・人数322、牛馬21、下田1町余、高にして10石が開発の功労者の新田頭小牧村善左衛門・小牧原徳右衛門・田楽村九郎兵衛の3人に当村内で与えられた。「徇行記」によれば、全村蔵入地、小牧村善左衛門・小牧原徳右衛門・田楽村九郎兵衛・中村又兵衛・河内屋新田仁左衛門・中原新田久兵衛のいわゆる入鹿六人衆が代々入鹿新田頭となり新田村を支配したといい、家数117・人数522、馬15。天保12年の村絵図には、村の中央よりやや東に木曽街道、西に古木津用水、東に新木津用水が描かれている。

寺社
 神社は、神明社。寺院は、黄檗宗大乗寺・真言宗来光寺(のち廃寺となったと思われる)。