地名の由来

地名の由来

<小牧市>

地勢
 大山川上流右岸に位置する。

地名の変遷
 地名は、平安末期に平重盛が全国に一国一寺建立したという小松寺が当地区に在ることによる。天正12年3月、小牧・長久手の戦に際して楽田を本陣とした羽柴秀吉は当地にも丹羽長重の軍兵を配したという(小牧陣所之者之咄伝之覚・小牧御陳長湫御合戦記/大日料11‐6)。〔近世〕小松寺村:江戸期~明治22年の村名。尾張国春日井郡のうち。尾張藩領。小牧代官所支配。明治13年東春日井郡に所属。同22年味岡村の大字となる。〔近代〕小松寺:明治22年~現在の大字名。はじめ味岡村、昭和30年からは小牧市の大字。明治39年味岡尋常小学校が新設された。昭和22年に味岡中学校が開校。北部丘陵地は小松寺団地などが建設されて人口が急増した。
 村高は、「寛文郷帳」小松寺領として242石余、「天保郷帳」242石余、「旧高旧領」253石余うち尾張藩分10石余・小松寺領242石余。「寛文覚書」によれば、元高242石余は小松寺領、ほかに入鹿郷新田10石余、家数26・人数206、馬10。「徇行記」によれば、本田小松寺領、入鹿新田10石余は蔵入地、家数42・人数159、馬2。天保12年の村絵図には、小松寺の門前に集落が広がり、また同寺の北の雨池之西にも集落がある。

寺社
 神社は「寛文覚書」に、熊野・県宮・白山・山王・山神3社とある。
 寺院は、真言宗小松寺があり、塔頭に総持院・宝泉院・宝蔵坊・梅心坊・東泉坊・池之坊、明治初年排仏毀釈によって廃寺となったが、本堂のみ残り現在に至っている(小牧市史)。