地名の由来

地名の由来

<小牧市>

地勢
 大山川中流右岸に位置する。

地名の変遷
 〔中世〕戦国期:尾張国春日部郡二重堀。定光寺祠堂帳に文明~永正年間の記載として「一、六俵 月浦大姉 二重堀」「一、六俵 二重堀正銀庵 福海慶大姉」とある(定光寺文書/定光寺誌)。天正12年の小牧・長久手の戦では同年4月8日付羽柴秀吉書状に「岩崎山、窪、青塚、田中郷、二重堀まて押詰陣捕候て、悉要害ニ拵」とあるように砦が築かれ羽柴方の最前線の位置を占めた(山本正之助氏所蔵文書/大日料11-6)。小牧・長久手の戦の余波で不知行となった。〔近世〕江戸期~明治22年:春日井郡二重堀村。当村から中根新田が分かれた。尾張藩領。小牧代官所支配。明治11年中根新田を合併。同13年東春日井郡に所属。同22年味岡村の大字となる。〔近代〕明治22年~現在:北外山入鹿新田大字二重。はじめ外山村、明治39年小牧町、昭和30年からは小牧市の大字。明治39年北外山の一部を編入。一部が、昭和25年大山、同44年東新町・緑町となる。同51年から駅東土地区画整理事業が始まり、飛躍的発展が予想される。

寺社
 神社は、「寛文覚書」に天王・白山・蔵王権現・山神2社、「徇行記」と天保12年の村絵図に天王社・白山社・蔵王社、現在は津島神社に合祀。
 寺院は、臨済宗東禅寺。天保12年の村絵図には智宝院が見えるがのち廃寺となったと思われる。